雲隠りゆく飛鳥・磐余道今日は朝、少し早起きして磐余(いわれ)に行ってきました。磐余って言っても知らない方のほうが多いのではないでしょうか。 奈良県の桜井市の磐余というあたりです。 磐余(いわれ)は日本で一番初めに都だったところです。 飛鳥よりも前の都です。 神武天皇はカムヤマトイワレヒココノミコトという名前です。 イワレというのが名前の中に入っていますね。 なぜか、王朝が変るときにイワレが名前の中に入っていると何かの本で読んだことがあります。 古代史の本を読んでいるとよく出てくる地名なので、以前から絶対に行きたいところの一つでした。 まず、桜井駅で降りて歩くことにしました。 駅の前を歩いていくと「いわれみち」と書いてあります。 私は本当にあの、憧れの磐余の地にいるのだと思うと、胸がわくわくして感動でいっぱいになってきました。 一緒に歩いている先輩も私と同じようにわくわくしているのが分かります。 一番初めに若桜神社へ行きました。 小さな神社ですがとても綺麗で落ち着いた雰囲気です。 その若桜神社の直ぐ近くに土舞台というのがありました。 飛鳥に有る石舞台というのは有名ですが、土舞台といのはここへ来てはじ知りました。 土舞台というのは、推古天皇の時代に、時の摂政であった聖徳太子が「国立演劇研究所」と「国立の劇場」を設けた場所として伝えられています。 芸能の発祥の地として、著名な芸能人が、ここを訪れたようです。 山道を少し下ると安倍文殊院 がりました。 奥へ進むと本堂がありました。 日本三文殊の一つで、大化改新の時に左大臣として登用された安倍倉梯麻呂の氏寺として建立したのだそうです。 ここ桜井の地は安倍一族の本貫地で全国の「あべ」さんの発祥の地として知られています。 清明は寺伝によると安倍一族9代目益材と新羅から渡来した吉志族の「葛葉の姫」の子として、安倍寺の横にあった安倍屋敷で生まれたと言います。 浮御堂が見えています。 春コスモスがとっても綺麗です。 浮御堂には安倍仲麻呂と清明の像が安置されています。 智恵の神様だそうです。 受験生はよくお参りに来るそうです。 今日はここまでにします。 今日の一番の目的であった大津の皇子が死を賜った時に、磐余の池の堤で涙を流して読んだ歌、 「百伝ふ 磐余の池に 鳴く鴨を 今日のみ見てや 雲隠りなむ」 で有名な磐余の池と行ってみて大変感動してしまった、磐余稚桜神社、そして、山田寺跡、飛鳥資料館などは次回の日記で紹介させていただきます。 ジャンル別一覧
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